生きもの好きと動物恐怖症
執筆:鈴木雅大 作成日:2011年2月9日(2019年7月20日更新)
 
 以下の写真は,本ウェブサイトの「写真で見る生物の系統と分類」に掲載するために著者が撮影したオオジョウロウグモです。
 
オオジョロウグモ 
Nephila maculata Fabricius
 
節足動物門(Phylum Insecta),鋏角亜門(Subphylum Chelicerata),クモ綱(Class Arachnida),クモ目(Order Araneae),ジョロウグモ科(Family Nephilidae),ジョウログモ属(Genus Nephila
 
 
撮影地:台湾 基隆市 台湾海洋大学キャンパス構内;撮影日:2009年7月16日;撮影者:鈴木雅大
 
 著者は大のクモ嫌いです。発疹が出たり,気絶するほどではありませんが,クモ恐怖症(アラクノフォビア)だと思っています。クモであれば大小関係なく苦手で,見るのはもちろん写真やTVの映像を見るのも嫌です。クモに近縁な仲間(鋏角亜門のメンバー)の内,サソリカブトガニウミグモ(注),ウデムシサソリモドキダニ,カニムシまでは平気ですが,ザトウムシやヒヨケムシになるともう駄目です。つまり,いわゆる「クモ形 」をした生き物が苦手なのです。例えば,クモとは全く関係の無い甲殻類のモクズショイ(クモガニ科)も苦手です。その中で,ジョロウグモコガネグモといった大きな網を作る仲間は,そこに近寄らなければ良いので比較的我慢出来る方です。しかし,耐えられると言っても接写することはまず無理で,オオジョロウグモにおいてはズームを最大にして撮影し,しかも逆光です。生物の写真としてはおよそ不適当で,特徴も捉えられていません。ただし,著者にとってはこの写真でも十分に不快です。ですから,ここでは「写真で見る生物の系統と分類」における生き物の紹介ではなく,「生きもの好き」が抱える「動物恐怖症」の悩みについて紹介したいと思います。「悩み」といっても深刻なものではないので,あくまでも駄文として読んで頂ければ幸いです。

注.ウミグモは「クモ」と付いていますが綱のレベルで異なる仲間です。

 著者のように「生きもの好き」で,ナチュラルヒストリーを語る者にとって,病的に苦手な生き物がいるというのは,大きな負い目です。野外観察で,学生に「毛虫がいても取り乱すな」と言っておきながら,採集した葉の裏にクモが隠れていたり,山道にクモの巣が張り巡らされていたりすると,思わず葉を投げ捨てたり,脂汗が出てきたりし,周りに気取られないよう必死で平静を装います。厄介な事にクモという生き物は野外はもちろん屋内においても目にする機会が非常に多いため,そのストレスたるや相当なものです。嫌いなものほど目ざとく気が付いてしまうもので,視界の片隅でかすかに動いた影に敏感に反応してしまいます。かつて千葉県銚子の臨海実験所に泊った際,部屋の目の前に馬鹿でかいアシダカグモが居座っており,車泊を決意した事があります(幸い,同室の方が建物の外に追い払ってくれました)。学生だった頃,岩手県下閉伊郡山田町の樹木園でうっかりクモの巣に顔から突っ込んでしまった時は,たまらず「ウワー」と叫んでしまいました。後にも先にも大声で悲鳴を上げたのはあの時だけです。近くに居た師匠が何事かと飛んできて網を払ってくれましたが,恥ずかしいことこの上なかったです。以降,野外観察や採集時にクモの巣を見かけると,師が気を使って網を取り払ってくれたり,橋の下など,オニグモアシナガグモのたまり場となっているような場所には,師が代わりに入って採集してくれるようになりました。調査の現場だったら,「何やってんだ!」と怒鳴られそうな場面ですが,師が理解ある人で本当に良かったと思っています。しかし,残念ながらクモ恐怖症に理解のある方は稀で,師のような方には未だ出会っていません。著者は海藻の専門家,すなわち海岸をフィールドとしていますが,仕事の都合上,やむを得ずため池や河川の調査をしなければならないことがあります。整備されたところな良いのですが、草が生い茂ったところを進まねばならない場合,必ずといって良いほどクモの巣が立ちふさがります。本来なら近寄りたくもないのですが,取り乱しつつもなんとか仕事を済ませています。とはいえ、恐怖症を持たない人が「たかがクモぐらいで」と思うのは当然で,「この仕事向いてないんじゃないの?」と言われることもしばしばです。たまにイラッとくることもあり,いっそ病院で診断書を書いてもらい,フィールド調査から外してもらおうと思うこともありますが,努めて平静を装うようにしています。

 厄介なのはクモが益虫という事です。ゴキブリのような害虫ならば容赦なく叩きつぶせばよいのですが,人に対して害を成さない生き物を「気持ち悪いから」というだけで殺す訳にはいきません。このため,屋内で遭遇した場合は,大騒ぎしながら外に追い出すか,人を呼んで追い払ってもらっています。意外なことに「益虫は殺さない」という概念は世間的にあまり浸透していないらしく,クモ嫌いの著者が必死になって我慢しているのに、「あ,虫(クモ)がいる」と言ってあっさり殺してしまう人に良く出会います。「鈴木さんが嫌がるから殺しておきました。」と笑顔で言われた時には,逆にとても悲しい気持ちになったものです。

 
鉄柱の周りに居るオニグモが怖くて近寄れない著者の代わりに採集する師匠
 
動物恐怖症は日常生活では問題にならない?
 
 恐怖症には様々な種類があります。代表的なのが高所恐怖症,閉所恐怖症,対人恐怖症,暗闇恐怖症,先端恐怖症です。これらの恐怖症は精神疾患で,それぞれに応じた特徴や対処療法があります。これらの恐怖症の最大の問題は,いずれの恐怖症も本人にしか分からない恐怖であるため,共感や理解を得にくい点です。からかわれたり,馬鹿にされる事も多いでしょう。恐怖症を抱える人の多くは,恐怖症であることを恥じ,自分を責める傾向にあるといいます。ひどい時には疎外感からうつ病になったり,引きこもったりする例もあるといいます。近年は,恐怖症への理解が進み,対処療法や改善の取り組みなども行われているそうです。対人恐怖症など生活に直接関わる恐怖症は,「病気」としての社会的認知度が高いと思います。それでは動物恐怖症の場合はどうなのでしょうか?

 著者は小学生の頃,ジグモやクモの人形を投げつけられたりしてからかわれた事があります。当時は子供の遊びの一環だったので,大した問題では無かったのですが,むしろ大人になってからが問題で,「何だよクモくらいで」と馬鹿にされたり,そう思われないように我慢したりと,恐怖症が悩みの一つとなっていきました。幸い,著者はクモ恐怖症が原因で日常生活に支障をきたした事はありません。野外観察の際に足がすくんだり,大学の花壇の手入れを途中で放棄したりした事がありますが,いずれも大した問題ではありませんし,笑い話で済ませられる程度です。動物恐怖症は,対象となる生き物を避ければ済むことから,高所恐怖症や閉所恐怖症に比べると抜き差しならない事態に遭遇するのは少ないのかもしれません。動物恐怖症には,それこそ,動物の種数と同じ数だけの恐怖症があると思いますが,代表的なものは,ヘビカエル,虫(ゴキブリ毛虫,クモ,ゲジゲジムカデミミズなど)でしょう。興味深いのは,恐怖症の持ち主でなくとも不快感を覚える生き物がいる事です。ゴキブリやゲジゲジに対して好印象を持つ人は,間違いなく少数派でしょうし,ヘビやクモもどちらかと言えば嫌いな人の方が多いと思います。特にゴキブリは,見るだけでぞっとしたり,取り乱す人も多いでしょう(注)。逆にクモ好きやヘビ好きは変わり者の部類に入ります。一般的に不快なイメージを持つ生き物が苦手と言ったところで,わざわざ恐怖症という「病気」として見てくれる人は少ないと思います。動物恐怖症の場合,動物に出会ったときの不快感もさることながら,周囲から奇異の目で見られる事や自責の念に苦しめられる事が多いと思います。

注.著者は病的にクモが嫌いですが,クモ以外に特別苦手な生き物はいません。ゴキブリなどは素手で叩き潰せます。海洋実習中,練習船の中にゴキブリが出てきたときは,素手でつかんで海に投げ入れました。学生にドン引きされ,上司には「人間としておかしい」と言われました。そこまでゴキブリを怖がる気持ちがあるのなら,クモを前にした著者の心境を少しは分かって欲しいと思うのですが・・・。

 
動物恐怖症は克服できるのか?
 
 もちろん著者もただ手をこまねいていた訳ではありません。これまでに試した方法を幾つか紹介します。
 
1. 図鑑や映像集などを見て,クモに慣れる。
 良く「慣れるしかない」という意見を聞きますが,無責任な意見だと思います。おかげで人一倍クモに詳しくなりましたが,全く改善しませんでした。「ウワー」と取り乱した後で,そばにいた人に「どうしたんですか?」と尋ねられた時に,「サツマノミダマシの巣に引っかかりました」と,普通の人はまず知らないような種名を返すのがせいぜいです。もちろん何の解決にもなっていません。
 
2. クモが登場する映画を観る
 著者はサメ映画をはじめとして,ワニ,ヘビ,恐竜などの動物パニック・ホラー映画を良く観るので,B級からZ級まで,クモが人を襲いまくる映画を何本も観ました。意外にも普通に観られました。偽物だと分かっているからか,動きがクモらしくなかったからかは分かりません。中には傑作もあり,「アラクノフォビア(1990)」,「スパイダーパニック(2002)」,「ラバランチュラ 全員出動!(2016)」はクモの好き嫌い関係なく楽しめると思います。「スパイダー・シティ(2012)」,「メガスパイダー(2013)」,「キングスパイダー(2003)」シリーズはオススメしません。「ラブチャー 破裂(2016)」はさすがに手が出ませんでした。言わずもがなですが,恐怖症は全く改善されませんでした。そもそも何をやっているんでしょうか・・・?
 
3. 恐怖症克服のドキュメンタリーを観る
 ディスカバリーチャンネルやTVのドキュメンタリーなどでは,たまに恐怖症について特集する時があります。その中で一つだけ真剣に試してみた克服法があります。第一段階:自分の手でクモの絵を描いてみる。デフォルメしたもので構わない。第二段階:そのクモの絵を切り取り,そばに置いておく(平面から立体へ)。第三段階:切り取ったクモを動かしてみる。…理屈は通っているなと思ったのですが,著者の絵心がなかったのか,あるいは特徴をとらえ過ぎていたのか,自分で描いた絵にもかかわらず恐怖心を克服出来ませんでした。
 
4. 専門家に相談する。
 もはや残された道は正式にカウンセリングやセラピー,診察を受ける事でしょう。著者はまだ,それほど積極的に調べている訳ではありませんが,高所恐怖症や対人恐怖症と比べて,動物恐怖症で相談に乗ってもらえる場所は少ないようです。ただ,職務に支障というほどではないものの,クモ恐怖症のせいで周りの足を引っ張ってしまうことがあるため,診断書のようなものがもらえないだろうかと良く思います。

・・・と思っていたのですが,近年はVR技術を用いた動物恐怖症の治療法が効果を上げているとの情報を得ました(2018年8月)。日本でも導入している診療所があり,機会があれば試してみたいと思っているのですが,通うには遠すぎる上,お金がかかりすぎるため未だ受診できずにおります。

 
動物恐怖症の人が野外観察をする際の心得
 
心得というと大げさですが,著者なりに野外観察などでクモと出会ってしまったときに心がけている事を紹介します。
 
1. 動揺しない。とはいえ,耐えがたい時には正直に説明し,理解を請う。
2. クモを見かけても努めて嫌そうな態度を見せない。
3. 虫嫌いな学生に対して理解を示しつつ,必要以上に取り乱さないよう指導する。
4. 「気持ち悪い」という理由だけで,生き物を無下に扱う事はしない。
 
 実際には,心得通りに行くことは少ないのですが,幸いこれまでトラブルは起きていません。「生きもの好きでも嫌いな生きものがいる」というのは,著者にとって負い目ではあるものの,仮にこれを肯定的にとらえるならば「生きものとの付き合い方」として,一歩引いた見方が出来るとも言えます。今後もクモ恐怖症とうまく付き合っていく方法を模索していきます。
 
(後日談1)アシダカグモとの戦い
 
 著者はクモ恐怖症を抱えつつ,「生きもの」を扱う仕事をしていますが,著者の現場は海なのでクモと遭遇する機会は少ないと思われがちです。著者自身もそう思っていました。しかし,仕事を始めてから10年以上,その間,そして現在もアシダカグモとの遭遇に悩まされています。海の仕事をする上で,しばしば臨海実験所を利用します。著者は日本各地の臨海実験所を訪ねており,東京大学の三崎臨海実験所には,臨海実習の手伝いとして2010年から2014年まで通いました。2015年からは神戸大学のマリンサイトに勤めています。海沿いの実験所には,ほぼ確実と言ってよいほどアシダカグモが現れます。これまでに遭遇したのは,筑波大学下田臨海実験センター(静岡県下田市),千葉大学銚子臨海実験場(千葉県銚子市),名古屋大学臨海実験所(三重県菅島),東京大学三崎臨海実験所(神奈川県三浦半島),神戸大学マリンサイト(兵庫県淡路島),台湾海洋大学(台湾基隆市)で,出会っていないのはアシダカグモが分布していない北海道大学の室蘭と忍路の臨海実験所,東北大学浅虫臨海実験所(青森県浅虫),新潟大学佐渡島臨海実験所(注)のみです。

注.「佐渡島に移入していないわけがない」との意見もあります。

 アシダカグモは,日本に生息する最大級のクモです。巣をはらずに走って獲物を捕らえるタイプのクモで,網を張らないので人に迷惑をかけることもなく,ゴキブリを含めた害虫を捕食してくれるので,ヒトにとってこの上ない益虫です。が、そうは言っても著者にとってこのクモとの遭遇は悪夢以外の何物でもありません。寝泊りする部屋に現れた時などは,学生や先生方に頼み込んで追い払ってもらっています。10年以上に渡り,毎年顔を合わせていますが,全く慣れません。アパートに侵入され,風呂場に居座られたときは,風呂場に通じる扉を厳重に封鎖し,知人に追い出してもらうまで,しばらく台所の水で髪と体を洗う破目になりました。

 
 神戸大学マリンサイトで良く見かけるアシダカグモ。出入口付近にいることが多いので入退出時はいつもビクビクしながらドアを開けます。基本的におとなしいので,向かって来たり,いきなり落ちてきたりということは無いのですが,その大きさと姿形は著者にとって悪夢そのものです。一応,写真が撮れる程度(ズーム最大,テレコンバーター使用)には慣れました…。
 
(後日談2)新たな脅威 ハシリグモ
 
 海岸をフィールドとしている著者にとって,野外でクモの恐怖にさらされることはそこまで多くありません。巣を張るクモに対しては巣に近づかなければ良いので,苦手ながらもなんとかやっています。しかし,子供と自然観察園に行ったところ,木道の周りの水辺でハシリグモの仲間に遭遇しました。国内では大型の部類に入る徘徊性のクモです。アシダカグモ以来の衝撃で,思わず6歳児の後ろに隠れるという父親らしからぬ行動を取ってしまいました。尋常ではない数(と著者は思った)のハシリグモに囲まれており,名前を調べるためテレコンバーターを使って写真を撮ることは出来たものの,著者にとってトラウマ級の出来事となりました。視界の端で何かが動くたびにクモではないかとビクっとすることがしばらく続きました。徘徊性のクモはどうしようもなく苦手ということを再認識しました。
 
スジブトハシリグモ
 
イオウイロハシリグモ
 

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