石灰化するワツナギソウ!?(私の失敗談)
 
執筆:鈴木雅大 作成日:2011年6月2日
         
     
 
 ワツナギソウという紅藻がいます。学名はChampia parvula (Harvey) C. Agardhといい,南極を除く世界各地で報告されている種類です。Champia parvulaの特徴は,円柱形で不規則に分枝する事で,良く探せば各地で見つかる普通種です。ところが,日本,台湾,フィリピン,ニューカレドニア,オーストラリア,メキシコ,カリブ海においてChampia parvulaと同定された種類のrbcL遺伝子の塩基配列は全て異なっており,これらは互いに別種であることが示唆されました。すなわち,Champia parvulaには多くの隠蔽種が含まれているという訳です。日本においてはChampia parvulaと同定されるものの中に,少なくとも2種類の隠蔽種がいます。

 ならば片っ端から新種として記載してしまいたいところなのですが,分類学の基本として,新種記載はタイプ法に従って行います。これまでChampia parvulaと同定されてきたものを新種とするためには,Champia parvulaのタイプ標本と原記載あるいはタイプ産地(スペイン カディス地方)で採集したChampia parvulaと比較しなければなりません。形態及び分子系統解析によってはっきりとした違いを示すことが出来てようやく新種として記載する事が出来るのです。ところが,肝心のタイプ標本と原記載から得られる情報は,「体が円柱形で不規則に分枝する事」だけです。この特徴は,全ての隠蔽種に当てはまるため比較になりません。しかもChampia parvulaは生育場所によって外形が激しく変化する事が知られており,外形だけで種を分けるのは非常に難しいと考えられます。そのような中で,Lozada-Troche & Ballantine (2010)は,プエルトリコでChampia parvulaと同定されてきた種類と,Champia parvulaのタイプ標本とを比べたところ,小枝を生じる位置が異なるという特徴を見つけ,Champia puertoricensis という新種を記載しました。著者も早速,この特徴が日本のワツナギソウにも当てはまるかどうか検討してみましたが,日本のワツナギソウは小枝を生じる位置がバラバラで種の特徴としては全く使えませんでした。よって残された手段は,スペイン カディス地方に行き,そこで採集したChampia parvulaを詳細に観察するとともに遺伝子を抽出して分子系統解析を行うことだけです。残念ながら現在,スペインに知り合いがおらず,著者自身も体が空かないことから日本のワツナギソウの分類は完全に行き詰ってしまいました。

 ワツナギソウ(Champia "parvula" species complex)の分類は先送りするしかないなと思っていたある日のことでした。沖縄で採集したワツナギソウのホルマリン標本を何気なく見ると,藻体が白っぽく見えました。このワツナギソウのrbcL遺伝子の配列は本州や世界各地のChampia parvulaとは異なっており,少なくとも本州のワツナギソウとは形態が異なる事から,著者は新種であると考えています。仮にChampia ryukyuensisという学名を用意してはいるのですが,前述の通り,スペイン カディス地方のChampia parvulaとの決定的な違いが見つからないため分類学的な結論を保留していました。藻体をビンの中から引っ張り出し,実体顕微鏡で見たところ,思わず「これは!」っと声を上げてしまいました。

 
     
 
 実体顕微鏡をのぞくと,ワツナギソウの枝に白いものが線状あるいは網状に付着していました。それが石灰だと気が付くのに時間はかかりませんでした。海藻には体に石灰を沈着させるものが知られています。代表的なものは,サボテングサ(緑藻),ウスユキウチワ(褐藻),コナハダ(紅藻),サンゴモ類(紅藻)などでしょう。著者の心は躍りました。「石灰化する」という特徴は,このワツナギソウをChampia parvulaと区別して新種記載するのに申し分の無い特徴です。ついにChampia ryukyuensisを新種記載する時が来たのです。その上,ワツナギソウを含むマサゴシバリ目(Rhodymeniales)では,これまで石灰化した仲間が知られておらず,立派な新知見です。さらにさらに,枝の上に網状に石灰を沈着させる海藻などこれまで聞いた事もありません。藻類の石灰化の新しい型である事に間違いなく,そのメカニズムは生物学的にも大きな発見かもしれません。「これは石灰化を研究している専門家に連絡を取った方が良いな」などと,著者の妄想は膨らみました。
 
     
 
 気持ちは舞い上がっていましたが,念の為,枝を1%の塩酸に浸し,気体(二酸化炭素)が生じるのを確かめました。そして「我ながら慎重だな」と自画自賛する程,有頂天になりました。気持ちが入った時の勢いは凄まじいもので,切片作成,体構造の観察を手早く済ませ,「外形をスケッチして網状の石灰沈着をうまく表現せねば」とか,「和名は何にしようか」,「さあラテン語だ!」と夢中になっていました。ここまでの流れから,この後とんでもないオチが待っていると想像が付くと思いますが,数日後,著者の目論見はものの見事に外れてしまいました。
 
     
 
 石灰の沈着をもっときれいな写真で表現したいと思い,師の顕微鏡を借りて暗視野照明で観察を行いました。上の2枚の写真が暗視野で撮影したものですが,顕微鏡をのぞいた途端,椅子から滑り落ちそうになりました。写真を見ると,石灰の中に空洞があるのが分かると思います。まるで「管」のように。そう、これは動物の棲管だったのです。おそらくはウズマキゴカイやカンザシゴカイのような多毛類の仲間だと思いますが,ワツナギソウの枝の上で動物が石灰を分泌したもので,石灰化でも何でもなく単なる着生動物だったのです。考えてみれば自然の状態で石灰が網状に沈着するなどあり得ない事でした。なぜ最初から動物を疑わなかったのか…,がっくり来てしまいました。

 当たり前の事ですが,着生動物はワツナギソウの種の特徴にはなりません。この動物は近くの他の海藻にも着生しているに違いありません。やっと見つけた形態的特徴のはずが,ものの見事に振り出しに戻ってしまい,この日の帰り道はため息が尽きませんでした。まあ,気付かずに発表してしまうよりははるかにましだろうという事で自分を納得させました。

 このように,今回のコラムは学術的な話ではなく,著者の失敗談です。研究を続ける中で,失敗のなかった人はおそらくいないでしょう。たまには真面目な話から少し外れて,このような失敗談を語っても良いかなと思いました。

 
 
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