海藻和名問題

執筆:鈴木雅大 作成日:2010年8月10日 更新日:2011年1月7日
 
 海藻の和名には,「モズク」vs「モヅク」,「イワズタ」vs「イワヅタ」のように,どちらの仮名遣いを用いたら良いか考えさせられるものが幾つかあります(金井 2008,新村 2008,北山 2008)。特に「和名は付箋であるべき(金井 2008)」と「和名には意味がある(新村 2008)」の意見は,どちらも説得力があります。そもそも,和名には学名のような厳格なルールがないので,どちらでも構わないとは思うものの,リストとして掲載する以上,仮名遣いは統一しなければなりません。この「海藻和名問題」は,北山(2008)と国立科学博物館のホームページ「日本の海藻 −美しく多様な海藻の世界ー」に詳しく載っているので一読されることをお勧めします。
   
生物の和名とは
 「イチョウ(植物)」,「ツキノワグマ(動物)」,「ワカメ(海藻)」など,多くの生物には日本語の名前が付けられています。これを「和名 Japanese name」といいます。学術的には生物の名前はラテン語で書かれた「学名 scientific name」を用います。学名は生物の国際共通かつ唯一無二の名前で,命名規約という厳しいルールによって定められています(コラム「トリパノソーマ・クルージィの学名について」参照)。これに対して和名には,厳密に定められたルールというものがありません。従って,同じ生物に対して複数の和名が付けられている事(例.ハナミズキ=アメリカハナミズキ=アメリカハナズオウ)や,クローバー(英語名)=シロツメクサ(和名)のように,言語によって呼び名が異なる事や,「たぬき・むじな事件」のように地方(方言)によって呼び名が異なる事もあります。ただし,それでは困るため「標準和名」というものが決められ,学術的にも「植物学用語」,「動物学用語」などの選定において基準となる和名が決められています。従って,学名における命名規約ほど厳しいものではありませんが,一応ルールがあり,少なくとも学術的な分野において生物の和名が混同される事は稀です。

 それでは,「仮名遣い」についてはどうでしょうか。日本語の仮名遣いの基準としては「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)を用いるのが一般的です。ところが,「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)には様々な例外規定があり,仮名遣いを確定出来ない言葉が頻出します。海藻で言えば「イワズタ」vs「イワヅタ」がこれに相当します。現在では一部の地域を除いて「ズ」と「ヅ」の発音は同じなので,日常的に用いる上では何の問題も無いのですが,これを活字にしようとすると厄介な問題が起きます。最たる例は辞書や索引でしょう。「ズ」か「ヅ」かで掲載の順番が変わってしまうため,仮名遣いを統一する事が不可欠です。本リストでも仮名遣いの統一に苦慮しました。図書館や新聞社では「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)に独自の改良を施した表音法を用いています(北山 2008)。生物の和名の仮名遣いの基準を何にするかは,研究者によって意見が分かれています。名前の由来,すなわち語源を重視する語源派は,「和名には意味がある」ことから語源に従った仮名遣いを推奨しています。例えば,「岩蔦=イワ+ツタ=イワヅタ」,「鹿角=カ+ツノ=カヅノ」,「頬突き=ホオ+ツキ=ホオヅキ」,「藻付く=モ+ツク=モヅク(注)」などが好例です。これに対し,ルールを単純化し,例えば「ヅ」は例外なく「ズ」として機械的に仮名遣いを決めた方が使い易いとする方も少なくありません。この他,「学術用語集植物学編」や「日本産海藻目録」など,一般的に広く知られている文献を指針とされる方もおります。

注.モズクの語源はこの他「藻着く」,「藻屑」など様々ですが,いずれの語源に従っても「モヅク」となります。

 このように,生物の和名,特に仮名遣いは,結局のところ何を指針としたら良いかを決めるのが難しい状態です。もし「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)で全ての仮名遣いが確定されれば,このような問題は起きないのですが,言葉には歴史,文化,学術的意味,利便性,慣習など,様々なものが絡み合っており,単純なものではありません。本リストでは,「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)に従い,それでも読みを確定出来なかったものについては,やむを得ず著者の判断で仮名遣いを決めました。ここに挙げた仮名遣いの問題は,これまで幾度も議論されてきた事です。詳しく知りたい方は金井 (2008),新村 (2008),北山 (2008)を参考にして下さい。

 
以下に,仮名遣いに問題のある海藻と本リストにおける取扱を列記しました。
 
「アリュウシャン」vs「アリューシャン」
  紅藻イギス目のアリューシャンノコギリヒバ(Odonthalia annae)が該当します。現在まで仮名遣い表記の乱れはなく,「アリュウシャンノコギリヒバ」が用いられてきました。本リストでは,「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)に従い,「アリューシャン」を用いました。
   
「オウギ」vs「オオギ」
  褐藻アミジグサ目のフタエオウギ(Distromium decumbens)やシマオウギ(Zonaria diesingiana)など,褐藻ウスバオウギ目のウスバオウギ(Syringoderma abyssicola),紅藻サンゴモ目のヒオウギ(Jania radiata),紅藻イギス目のヒメオウギイトグサ(Polysiphonia flabellulata)が該当します。本リストでは,「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)に従い,「オウギ」を用いました。
   
「カズノ」vs「カヅノ」
  褐藻アミジグサ目のカヅノアミジ(Dictyota divaricata),紅藻ベニミドロ目のカヅノホシノイト(Stylonema cornu-cervi),紅藻スギノリ目のカヅノイバラ(Hypnea flexicaulis)が該当します。本リストでは,「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)に従い,「カヅノ」を用いました。
   
「カタハベニヒバ」
  仮名遣いに問題はないのですが,紅藻イギス目のカタワベニヒバ(Neoptilota asplenioides)の「カタワ」は差別用語に当たると考えられるため,本リストでは「カタハ」としました。
      
「ズタ」vs「ヅタ」
  緑藻ハネモ目イワヅタ属(Caulerpa)とヒメイワヅタ属(Caulerpella)の種,紅藻イギス目のヒメヅタ属(Taenioma)の種が該当します。「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)では読みを確定出来ない,すなわち「ズタ」と「ヅタ」のどちらも成り立つため,基準とするものがありません。本リストでは,語源が「蔦=ツタ」である事を考慮して「ヅタ」を用いました。ただし,語源を無条件で和名の仮名遣いの根拠として良いかどうかは更なる検討が必要で,「イワズタ」と「イワヅタ」についてはどちらも仮名遣いとして正しいものと考えています。
      
「チジミ」vs「チヂミ」,「チジレ」vs「チヂレ」
  緑藻ハネモ目のチヂミヒメイチョウ(Udotea glaucescens),褐藻コンブ目のチヂミコンブ(Saccharina cichorioides),紅藻スギノリ目のチヂレアカバ(Neodilsea crispata)が該当します。本リストでは,「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)に従い,「チヂミ」,「チヂレ」を用いました。
     
「ハハキ」vs「ホウキ」
  褐藻ヒバマタ目のタマハハキモク(Sargassum muticum)が該当します。旧かなづかいの「ははき」は,「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)では「ほうき」となるため,「タマハハキモク」は「タマホウキモク」とするのが正しいと考えられます。しかし,現在まで「タマホウキモク」とした文献は無く,他の仮名遣いの問題と比べても変更による影響が大きいと考えられることから本リストでは「タマハハキモク」としました。ただし,1961年の「牧野新日本植物圖鑑」は「ハハキモク」を「ホウキモク」としており,この問題については更なる検討が必要です。
   
「ビロウド」vs「ビロード」
  紅藻ウミゾウメン目のビロードガラガラ(Galaxaura divaricata),紅藻スギノリ目のヒビロード属(Dudresnaya),エツキヒビロード属(Gibsmithia)が該当します。本リストでは,「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)に従い,「ビロード」を用いました。「ビロードツリアブ」,「ビロードカミキリ」(昆虫),「ビロードモウズイカ」(被子植物),「ビロードシダ」(シダ植物)など,「ビロード」を冠する生物の和名の多くが「ビロード」を用いていることからも適当と考えています。
     
「ホウズキ」vs「ホウヅキ」vs「ホオズキ」vs「ホオヅキ」
  紅藻イギス目のツクシホオヅキ(Acrocystis nana)が該当します。「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)では読みを確定出来ず,「ホオズキ」と「ホオヅキ」のどちらも成り立つため,基準とするものがありません。本リストでは,語源が「頬突き=ホオ+ツキ」である事を考慮して「ホオヅキ」を用いました。ただし,「イワズタ」vs「イワヅタ」と同様に,語源を無条件で和名の仮名遣いの根拠として良いかどうかは更なる検討が必要です。
     
「モサズキ」vs「モサヅキ」
  紅藻サンゴモ目のモサズキ属(Jania)の多くの種が該当します。どういう言葉の組み合わせで出来た名前なのか分からないため,「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)では読みを確定出来ません。語源も不明なため判断に迷いましたが,本リストではこれまで図鑑,図説,論文等で一般的に用いられてきた「モサズキ」としました。
     
「モズク」vs「モヅク」
  褐藻シオミドロ目のイシモズク(Sphaerotrichia divaricata),モズク(Nemacystus decipiens)など,紅藻ウミゾウメン目のベニモズク属(Helminthocladia),アケボノモズク属(Trichogloea)が該当します。本リストでは,「現代仮名遣い」(内閣告示 1986)に従い,「モズク」を用いました。
   
「ヤブレオウギ」vs「ヤレオウギ」
  岡村(1931)はHomoeostrichus flabellatusを「やぶれあふぎ」と命名しましたが,岡村(1936)は,Homoeostrichus属の属名を「やれおうぎ属」としています。本リストでは,岡村(1931, 1936)に従い,H. flabellatusの和名を「ヤブレオウギ」,Homoeostrichus属の和名を「ヤレオウギ」としました。
   
「エゾツノマタ」vs「クロハギンナンソウ」
  Mikami (1965)は,Chondrus yendoiに対して「エゾツノマタ」,Iridaea cornucopiae(現 Mazzaella laminarioides)に対して「クロハギンナンソウ」と名付けています。吉田(1998)はC. yendoiの和名を「クロハギンナンソウ」としており,和名に混乱がみられます。「エゾツノマタ」と「クロハギンナンソウ」は,共にMikami (1965)以前から用いられてきた名前のため,現在「新称」として発表された文献あるいは名前が登場する最も古い文献を調査中です。
   
参考文献
金井弘夫 2008. イワズタ問題に寄せて. 藻類 56: 231.
 
北山太樹 2008. 海藻の和名における仮名遣いの問題. 藻類 56: 233-236.
 
Mikami, H. 1965. A systematic study of the Phyllophoraceae and Gigartinaceae from Japan and its vicinity. Scientific Papers of the Institute of Algological Research, Faculty of Science, Hokkaido Imperial University 5: 181-285.
 
岡村金太郎 1931. 日本藻類図譜第6巻第6集.
 
岡村金太郎. 1936. 日本海藻誌. 1000 pp. 内田老鶴圃,東京.
 
新村 巌 2008. 「モズク」と「モヅク」について. 藻類 56: 232.
 
吉田忠生 1998. 新日本海藻誌. 1222 pp. 内田老鶴圃,東京.
 

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