ヒトエグサの分類と混乱 |
執筆:鈴木雅大 作成日:2022年12月10日(2022年12月28日更新) |
緑藻ヒトエグサは,Monostroma nitidumに充てられています。かつては,内湾部で大型になるものをヒロハノヒトエグサ(M. latissimum)と呼んで区別していましたが,吉田(1998)は,ヒロハノヒトエグサ(M. latissimum)をヒトエグサ(M. nitidum)のシノニム(異名)としました。Bast (2015) は,三重県 松阪市で養殖されている「ヒトエグサ」について,遺伝子解析を行い,「ヒトエグサ」を新種 M. kuroshienseとすることを提唱しました。Silva et al. (2022) は,Bast (2015) が登録した遺伝子配列を基に,M. kuroshienseをヒトエグサ属(Monostroma)からマキヒトエグサ属(Gayralia)に移しました。これだけをみると「ヒトエグサ」は,Gayralia kuroshiensisということになるのですが,ヒトエグサがG. kuroshiensisかどうか,著者には判断することが出来ませんでした。
「ヒトエグサ」の分類が混乱している理由は2つあり,一つ目は,日本及び北太平洋西岸に分布する「ヒトエグサ」が1種類なのか複数の種類を含むのかが不明瞭な点,もう一つはM. nitidum,M. latissimumという種類の実体が分からないという点です。Bast (2015) は,M. kuroshienseを記載したものの,分類学的な検討,議論が出来ておらず,命名法上の問題もあり(後述),「ヒトエグサ」の分類について参考にすることが出来ませんでした。Silva et al. (2022)は,Gayralia kuroshiensisの新組み合わせを発表する際に,Bast (2015) の問題点と,M. nitidumとM. latissimumを巡る分類学的問題について議論しており,著者もようやく理解することが出来ました。また,Cui et al. (2022)は,中国南シナ海沿岸に分布するヒトエグサ類について多くのサンプルを解析しており,北太平洋西岸における「ヒトエグサ」の状況が少しずつ見えてきたように思います。未だ結論を出すには尚早と考えられますが,「ヒトエグサ」の分類の現状について分かったことをまとめてみました。 |
「ヒトエグサ」に相当する,あるいは相当する可能性がある種類 |
1. Monostroma nitidum Wittrock |
現在,ヒトエグサの学名として用いられている種類です。タイプ標本はストックホルムの自然歴史博物館に保管されている可能性があるものの,未だ確かめられておらず,所在不明です。タイプ産地の候補としては,トンガ(フレンドリー諸島),オーストラリア,中国の3ヵ所が挙げられますが,トンガと中国の2ヵ所とする文献もあります(South & Skelton 2003)。 |
2. Monostroma latissimum Wittrock |
ヒロハノヒトエグサの学名として用いられている種類で,日本ではヒトエグサのシノニム(異名)として扱われています。タイプ標本の所在が不明で,タイプ産地の候補としては,ヨーロッパ,北アメリカ,ニュージーランドが挙げられています。 |
3. Gayralia kuroshiensis (F. Bast) S.L.A. Silva, Brito, S.M.B. Pereira, Gama & Cassano |
三重県 松阪市で養殖されている「ヒトエグサ」で,Bast (2015)によって記載された後,Silva et al. (2022)によってマキヒトエグサ属(Gayralia)に移されました。 |
4. Gayralia brasiliensis Pellizzari, M.C.Oliveira & N.S.Yokoya |
ブラジルで記載された種類ですが,Cui et al. (2022)が中国陽行市で報告しており,日本に分布していてもおかしくはないかもしれません。 |
ここに挙げた4種が「ヒトエグサ」の候補です。ただし,Cui et al. (2022) は上記のどれでもない未記載種(Monostorma sp.)を報じており,上記4種以外の「ヒトエグサ」が存在する可能性もあると思います。各種の実体の検証と,「ヒトエグサ」が1種類なのか,複数種を含んでいるのかを検討する必要があります。Silva et al. (2022) によると,日本産ヒトエグサ類のITS領域の配列は,"G. kuroshiensis"(三重県 松阪 GU062561), "M. nitidum"(三重県 松阪 AB933331), "M. latissimum" (高知県 四万十川河口 EU664979) が公開されています。この内,GU062561とAB933331は,ほぼ一致(1 bpの差異)するので同一種と考えられますが,EU664979は,15-16 bpの差異があり,GU062561とAB933331とは別種と考えられます。EU664979の配列をチェックしたところ,Cui et al. (2022) が"Monostroma sp." とした配列に近似していたものの,6, 7 bpの差異がありました。この他,Kawashima et al. (2013)は,日本各地から取り寄せた「ヒトエグサ」の商品について解析しています。販売物なので分布情報にはならないものの,ITS2領域を用いた解析では,複数のクレードに分かれています。ITS2領域のみなので,Cui et al. (2022), Silva et al. (2022)との比較は難しいのですが,日本の「ヒトエグサ」は,2種以上を包含していると考えるのが妥当でしょう。今後,日本沿岸に生育する「ヒトエグサ」について,より多くのサンプルを用いた解析が実施されれば,日本における「ヒトエグサ」の分布状況について明らかになっていくのではないかと思います。 |
Monostroma nitidumとM. latissimumの実体 |
Monostroma nitidumとM. latissimumは,いずれもタイプ標本が所在不明で、タイプ産地もはっきりしません。複数のタイプ産地が候補として挙げられる場合,各タイプ産地で採集したサンプルを観察,解析する必要がありますが,M. nitidumとM. latissimumのタイプ産地はいずれも広範囲に及んでおり,真のM. nitidumとM. latissimumを判断するのは,容易ではないと思われます。"M. nitidum"として公開されているITS領域の配列は,中国防城区(AF415170)と産地不明(AY026917)の2つで,AF415170は,Gayralia属のクレードに含まれますが,他に近似する配列はありません。AY026917は,Monostroma属のクレードに含まれ,中国産のM. arcticumの配列と近似しました。AY026917は,配列が公開されているものの,論文等は未発表で,配列情報に産地が記載されていないため産地不明です。Silva et al. (2022)は,AY026917の配列登録者がニューサウスウェールズ大学の方なので,オーストラリア産の可能性が高いとし,AY026917を暫定的に真のM. nitidumとして扱っています。ただ,登録者がオーストラリアの方だからといって,AY026917をオーストラリア産と判断するのは無理があると思われる他,M. arcticumの誤同定という可能性もあり(注),真のM. nitidumと判断出来るサンプルは未だ揃っていないと考えられます。Monostroma latissimumについては,四万十川産のEU664979が唯一のため,真のM. latissimumと判断出来るサンプルはありませんでした。
注.M. arcticumとされた配列がM. nitidumの誤同定という可能性もあります。 |
「ヒトエグサ」の今後とGayralia kuroshiensisの扱い |
先述の通り,M. nitidumとM. latissimumは実体不明種となっており,今後も解決の見込みが立っていません。タイプ標本が見つかりさえすれば,真のタイプ産地が判明する可能性や,タイプ標本の欠片を遺伝子解析するなどの方法があると思うのですが,現時点ではどうすることも出来ないのではないでしょうか。今後出来ることは,日本各地に生育する「ヒトエグサ」について,しっかりとした形態観察と遺伝子解析を実施し,日本には何種類生育し,各地域にどのような種が分布するかを明らかにすることではないかと思います。 しかし,それでも種名を確定することは困難と考えられます。形態的特徴,遺伝子解析,分布情報に基づき,暫定的にでも"M. nitidum", "M. latissimum"を決めてしまうことは出来なくもないと思いますが,困ったことに「ヒトエグサ」はMonostroma属ではなくGayralia属であると考えられます(注)。同定の曖昧なものに対して属の組み替えを行うことは難しいと思いますし,分類学者として推奨出来ません。"M. nitidum"と"M. latissimum"を実体不明種として分類学的検討を保留し,分類学的問題が解決するまでの暫定的な処置として新種を記載した方が良いのかもしれません。そういった意味では,分類学的な問題は多々あるものの,G. kuroshiensisは実体のある種として活かした方が将来的には有効ではないかと思うようになりました。本サイトでは,熟考の末,G. kuroshiensisを日本産種として掲載することにしました。 注.Cui et al. (2022) は,Gayralia属をMonostroma属に含めることを提唱していますが,遺伝子解析において内群にGayralia属とMonostroma属しか用いていないため,属の所属について議論することは出来ません。Wetherbee & Verbruggen (2016)によれば,Monostroma属とGayralia属はそれぞれ独立の属であると考えられるため,Cui et al. (2022) の見解は誤りであると考えられます。 |
Bast (2015) の命名上の問題点 |
最後に,Bast (2015) の命名法上の問題点について触れておきます。Algaebaseが誤りを訂正している他,Ulvopsis属の扱いの問題などについてSilva et al. (2022)が指摘しているので,混乱はないと思いますが,今後,G. kuroshiensisの使用が増えてくるかもしれないので,間違いが起きないようここに紹介しておきたいと思います。 |
1. "Monostroma kuroshiensis (Yendo) F. Bast nom. nov."の命名法上の扱い |
Bast (2015)は,同定の誤りである"Monostroma latissimum sensu Yendo"を基礎異名とし,新名(nomen novum)を提唱しました。同定の誤りは基礎異名には成り得ないので,誤った発表です。ただし,記載文とタイプの情報を記述しているので,新種としての記載要件は満たしており,引用及び著者名の誤りは自動的に訂正され,"Monostroma kuroshiense F. Bast sp. nov."として正式発表されたことになります。 |
2. "Monostroma kuroshiense"の種小名の綴り |
Bast (2015)は,種小名を"kuroshiensis"としました。Monostroma属の性は中性なので,"kuroshiense"が正しい綴りとなります。また,黒潮に因んで作った名前であれば"kuroshioense"が正しい綴りと考えられます。語尾変化の誤りは自動的に訂正して構わないのですが,国際藻類・菌類・植物命名規約(ICN)深圳規約(2018)の60.9条は,人名あるいは地名に因んだ学名の綴りについて,「著者による綴りの変更が意図的ならば(注),その変更は保持されなければならない」としています。人名に由来する学名の綴りについては条件付きで訂正可能とも書かれているのですが,地名等に由来する場合は特に規定がないため,"kuroshiense"を"kuroshioense"に訂正することは出来ないと考えられます。
注.2015年3月,著者はBast氏から,「"kuroshiensis"として記載したので,Algaebase及び貴サイトで掲載している"kuroshiense"は誤植である」との指摘を受けました。属名の性に対応した種形容語の語尾変化を知らなかったようです。著者は,"kuroshiense"に訂正することが命名法上妥当であることと,"Kuroshioense"が正しい綴りであることをBast氏に伝えましたが,その後返信及び訂正等の反応がないので"kuroshiense"は意図的なものになるようです。 |
3. Ulvopsis属の再評価 |
Bast (2015) はMonostroma属のタイプ種は,M. bullosumではなく,Papenfuss (1960) が選定したマキヒトエ(M. oxyspermum(現 Gayralia oxysperma))であるとしました。Bast (2015) は,Monostroma属のシノニム(異名)とされていたUlvopsis属を再評価し,系統解析においてM. oxyspermumとは異なるクレードとなるM. bullosum, ウスヒトエグサ(M. grevillei)やエゾヒトエグサ(M. angicava)などをUlvopsis属としました。
Monostroma属のタイプ種を巡っては,過去に論争があり(Papenfuss 1960; Bliding 1969; Christensen 1975),Silva et al. (1996) が解説しています。詳細は省きますが,結論としては,Preiffer (1874) がM. bullosumをMonostroma属のタイプ種として既に指定していたため,Papenfuss (1960) は無効であることが判明し,決着をみました。その後,M. oxyspermumはMonostroma属からGayralia属に移され,Gayralia属のタイプ種となりました(Vinogradova 1969; Scagel et al. 1989)。Bast (2015) はこの経緯を知らなかったようです。Ulvopsis属は,これまで通りMonostroma属のシノニム(異名)として扱われています。 |
この他,不必要な"comb. nov."が散見する,Holotypeとは思えない生態写真(Fig. 7),生態写真以外の図(縮尺の入った外形,表面観,横断面など)がない,不必要な系統樹の数々,M. kuroshienseを記載するに当たり,M. nitidum, M. latissimumとの関係についてほとんど議論していないなど,分類学的な論文としては,失礼ながら「ひどい」と言わざるを得ません。不備は多々ありますが,命名規約の勧告に反する箇所はあっても,条文に反するものはないので,正式発表された種として認められるのではないかと思います。業腹というのが正直な気持ちではありますが,本サイトではG. kuroshiensisが「ヒトエグサ」の種名の候補になる可能性を踏まえ,G. kuroshiensisを掲載しました。 |
参考文献 |
Bast, F. 2015. Taxonomic reappraisal of Monostromataceae (Ulvophyceae: Chlorophyta) based on multi-locus phylogeny. Webbia 70: 43-57. |
Bliding, C. 1969. A critical survey of European taxa in Ulvales, Part II. Ulva, Ulvaria, Monostroma, Kornmannia. Botaniska Notiser 121: 535-629. |
Christensen, T. 1975. Annotations to a distribution survey of Danish marine algae. Botanisk Tidsskrift 69: 253-256. |
Cui, J., Chen, C., Tan, H., Huang, Y., Chen, X., Xin, R., Liu, J., Huang, B. and Xie, E. 2022. Taxonomic delimitation of the monostromatic green algal genera Monostroma Thuret 1854 and Gayralia Vinogradova 1969. Diversity 14, 773: 1-13. |
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Papenfuss, G.F. 1960. On the genera of the Ulvales and the status of the order. Journal of the Linnean Society of London, Botany 56: 303-318. |
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Silva, P.C., Basson, P.W. and Moe, R.L. 1996. Catalogue of the benthic marine algae of the Indian Ocean. University of California Publications in Botany 79: 1-1259. |
Silva, S.L.A., Brito, J.O.F., Pereira, S.B., Gama, W.A., Silva, W.J., Jr, Benko-Iseppon, A.M. and Cassano, V. 2022 Morphological and molecular studies on the genus Gayralia (Ulotrichales, Chlorophyta) in northeastern Brazil with expansion of its species distribution. Botanica Marina 65: 379-390. |
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Vinogradova, K.L. 1969. K. sistematike poryadka Ulvales (Chlorophyta) s.l. A contribution to the taxonomy of the order Ulvales. Botanicheskij Zhurnal SSSR 54: 1347-1355. |
Wetherbee, R. & Verbruggen, H. 2016. Kraftionema allantoideum, a new genus and family of Ulotrichales (Chlorophyta) adapted for survival in high intertidal pools. Journal of Phycology 52: 704-715. |
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