「山吹伝説」とは，室町時代後期の武将，太田道灌にまつわる話です。太田道灌は，江戸城を築城したことで知られ，江戸城跡地には，現在も「道灌堀」が残されています。道灌が鷹狩りの最中に雨に降られ，立ち寄った民家で蓑（みの）を借りようとすると，出てきた少女が一輪のヤエヤマブキの花を差し出しました。道灌は当初，その意味をつかみかねておりましたが，近臣（家来）の一人から，「後拾遺和歌集・兼明親王作の歌の一つに～というものがあります。」と聞き，ようやく少女の意図を悟りました。この後拾遺和歌集・兼明親王作の歌こそが，上述の「七重八重～」の歌です。少女は「蓑（みの）が無い」と「実が無い」をかけ，貧しくて貸す蓑を持たないことをヤマブキに例えたというものです。

吉﨑先生が講義で毎回この話をするのは，美しいエピソードであると共に，八重咲きの花は結実しないということを紹介するためで，ヤマブキとヤエヤマブキの花を見比べた後，「七重八重～の歌は生物学的に正しいか？」と学生に質問するのが通例でした。「ヤマブキは結実するが，ヤエヤマブキは結実しない，すなわち七重八重～の歌は正しい」というのが答えです。著者は恥ずかしながら，少女と出会った時の道灌のように歌道に疎く，まともに覚えている和歌はほとんどありませんが，師の話を何度となく聞いていたため，この歌だけは忘れることなく諳んじることが出来ます。それにしても，室町時代後期（道灌の生きた時代），ひいては平安時代（兼明親王が歌を詠んだ時代）にあって，八重咲きの花が実を付けないということが歌に詠まれるほどの現象として認識されていたことには驚かされます。中国から本草学が伝わったのは奈良時代と考えられているので，植物学的な知見の収集，探求は既に行われていたのかもしれません。いずれにしろ兼明親王が高度な教養を身につけた方であることは疑いようもないと思います。